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資料室
心の道

 正法との出会い

 
正法との出会い 
私は、幼年のときより心の中から突き動かされるものに導かれていたました。
人間はなぜ苦しむのか、そのことに悩んだのは小学生の高学年の時でした。その頃の将来の夢は、坊さんか、修道院に入りたいという変わった少年でした。
あるとき、人間が苦しむのは人間自身の欲望が原因だと心の中で分かったのでした。そのとき、確かに心の中の何者かに教えられたのでした。
ずいぶんと、ませた少年でしたが。そこからが本当の苦悩の人生航路です。
しかし、同時に性的な好奇心に芽生える年頃でもありました。そして、親に反抗し、多くの不幸を作ってしまったのもこの頃からでした。
純粋な少年時代、夜寝る前は誰に教えられるまでもなく反省の時間でした。今から思うと、前世で正法に接した証明だと思うのです。
そのような、習慣がありました。
自分が一日になした行為を自らに詫び、傷つけた相手にも詫びこのようなことは二度とするものかと反省したものです。
しかし、学校生活もやがて中学になり、人間関係も様々に複雑になると次第に、愚痴、怒り、妬みの心が自分の心を支配し反省の習慣などなくなってしまっていました。
そして、女性を性的な対象とみる邪な欲望が現れてきたのでした。
すでに、私の心は魔に侵されていたのでした。
そのころ、書店には出来たばかりの新興宗教の幸福の科学から多数の霊言集が発売されていました。
高橋信次という名に心を引かれ、私はなけなしのこづかいをはたいてこの本を買ったのでした。一時期洗脳されましたが、次第に私の良心がこれを疑問に感じ、何かが違うとどこか心に引っかかるものがあったのです。
そして、大川なるものがとんでもない格好で我こそはエルカンターレと言ったのを知ったとき、大きな疑問を感じたのでした。お釈迦様は断じてあのような方ではないと。
そして、幸福の科学は嘘だと確信したものの、高橋信次という名前はやはり、心に引っかかりここまできたのでした。
やがて高校に進学し、ますます私は魔に身も心も侵されていきました。
大学に向けた受験勉強のなかで、人間の本当の生きる目的を失い、テストでいかに人を蹴落とすか考える、恥ずべき人間となってしまったのでした。学歴で人を差別する、虚構の中の人間になってしまったのでした。
いつしか宗教的な考えも私は拒むようになり、魂の実在まで否定する無神論者になりはててしまいました。
このような私をみて、魂の兄弟の心配はどれほどのものであったのか。私はいかに愚かであったのでしょうか。
そして、大学に進学してからまもなくのこと、私はある事件に巻き込まれ、臨死体験をすることになりました。
子供の時にも何回か肉体が魂と分離する感覚があったのですが、いつしか幼いときの夢だろうと忘れてしまっていた感覚でした。
名も知らぬ人間から殴打されつづけ、口や鼻には脳髄液が流れこむのが分かります。私の魂は肉体から離れ、殴打され続けている自分を見下ろしていました。
私は、この男を恨む気持ちはありませんでした。不思議と怒りもありませんでした。
もはやこれまでと、心に念じたときでした。私の体は天上界に引っ張り上げられました。
そこには暖かい心そのもののような太陽があり、愛情というのはまさに光となっているようにわが身を照らしたのでした。
大きな愛に抱かれ、私は思わずこれまでの人生の間違いに気がついたのでした。
そして、その光の中で、幼い日の少年時代のままに自らを反省したのでした。そのとき、光の中から声が聞こえました「大丈夫だよ」「大丈夫だよ」と。
それは、魂の兄弟の声でした。
私は、この安らぎの世界にこのまま残りたいと、一瞬思いました。しかし、私は帰らなければとすぐさま念じたのでした。
そのとき、私はこの地上界に戻りました。戻った肉体は、本当に鉛の人形かなにかのようなもので、あの世のそれとは比較にならないものだと分かりました。
路上で凍える私の体に、先ほどのあの世の太陽の光と同じようなもので満たされ、体が徐々に温まりました。そして、救急車で搬送されたのですが、回復が早く、今日まで五体満足に生きています。
そのようにして、魂の実在を悟ったのです。
私はこの頃は、あの世で聞いた声はご先祖さまか何かだと思っていたのでした。

 
ちょうど、大学生活も終わり、卒業の頃、私は大きな失恋をしてしまいました。その原因の大きいところは、女性を性的な対象とみる邪な欲望のためでした。愛より、欲望が勝っていたからでした。
しかし、私はこの原因を追究することもなく、自らを甘やかして社会人となっていったのでした。
しかし、社会人となって、あらためて今までの人生に疑問を持ち始めたのでした。
それは、3年前の6月頃でした。そのときに、これまで自分の利益ばかり追求して祈ってきた自分に疲れ果てていました。何かがおかしいと。
創価学会にも何度か誘われましたが、自分を救うものには程遠いと。すべてに疲れ、自分にも疲れ、天を仰ぎこの宇宙は何であろうか。自分の臨死体験は何であろうかと疑問に思った、そのときでした。
心の中の何者かが、宇宙には心があると教えたのでした。あの、幼い日の記憶が蘇りました。
しばらくたって、夕暮れ時、雨上がりの空に巨大な虹のアーチが二重に現れました。その真ん中には真っ赤な夕日があり、黄金色の光が斜めに差していました。
臨死体験で見た、天上界の光景にも似たもので、それを思い出しました。そして、また心の中から、高橋信次を調べよという、声にならない声が聞こえたのでした。
八起先生の、今は亡きインターネット宗教との出会いのきっかけでした。反省を通じて、その夜。夢だったのかまだ分からないのですが、禅定したまま再び、あの光の世界に行く事ができました。
その声は今で言うタイかインドの言葉か分かりませんが、異言でした。とても懐かしい語り方で、魂の兄弟であると確信したのでした。
この異言の意味が分からなかったのも、私の魂のまだ浄化されていない部分があるからであり、反省しなければならないのです。また、いつでも禅定して光の世界にいけないことも、まだ魂が浄化されていない証拠だと、私は思います。
それゆえに、日々の思念と行いを一つ一つ確認することが大切なのだと改めて思います。
再会を懐かしむ声でした。
そして、去年の暮れ(2010年)から、私は八起先生に何とかして会おうと、どこにいらっしゃるか分からぬまま、自らの心の声に突き動かされ博多に行こうと決意したときでした。
八起先生のホームページが停止されたのでした。私は、会ったこともない、顔も知らない先生の死をはっきりと心の中で感じることができました。魂で、人の死が分かったのはこのときが初めてでした。もはやこの世の人ではないと分かりました。
同時に、このホームページが停止されてはならないと強く感じました。
会いたいと思う師に会えない。不思議なものです。八起先生も、高橋先生ご存命中にはご本人には会えなかったそうです。私もまた、もっとはやく真実に触れていれば、園頭先生にも、八起先生にもお会いできたはずです。
しかし、命のリレーは心あるものが繋ぎ続けなければならないのです。
本来なら、私の素性も含め正直に明かさねばならないのですが。私はこれから、創価学会など批判を書き続けなくてはならなくなるでしょう。
いま勤めている会社は、創価学会系の会社ですので、私の職種も特殊であり、明かせばすぐに特定されてしまうことから、身の安全を考え伏せることとしました。
私の年齢は31です。まだまだ、これからと思うのは既に魔が入った考え方です。いつどうなるか分かりません。法灯を消さぬように、そのわずかながらの助けになれればこれほどうれしい事はありません。
私は、物書きではありません。技術職です。ただ、書くことが分からなければ自らの心に従い書くだけです。


 

 

 

 

更新情報・おしらせ

【2012年5月6日】更新

 

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