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偽りの指導者


偽りの指導者
縁あって、このホームページにいらっしゃった方に心から感謝いたします。
現代は数限りない悪法が蔓延る時代です。
皆さんも、ちょっと新聞を見てみれば、おおよそ人間の心を説く宗教とはかけ離れた、その宗教の機関紙や書籍がずらっと並び、これなどは一体いくらの金をかけてるのだろうと、こんな金を使うくらいならなぜ自ら貧しい人に直接手を差し出さないのだろうと大いに疑問を感じます。
正しい教えは大自然の心そのままに、無償です。そして、この地球そのものが神の体である大神殿であるがゆえに、神殿も作る必要はありません。
本尊もありません。なぜならば自らの心の中に神があるからです。偽りの我を、心のスモッグを取り除いたときに、人は自らの心に慈悲愛を見つけることができるのです。
そして、勤行を強いることもありません。自らの慈悲ある真我たる自分をみつけたなら、それは自然に無償の愛という行為になるのです。
それは、いままでのすべての与えられたものへの感謝と報恩となり、感謝と報恩の輪廻は、あの大自然の四季のように循環するからこそ永遠の生命として、この大宇宙を調和していくのです。
本尊を作り、勤行を強い、貧乏人から浄財と称し金を取り、仏国土の実現と称し政治に参加する宗教もあります。
これが本当に、人間の心を幸福にする宗教なのでしょうか。
エリヤの時代にもあまたの邪教が蔓延っていたといわれていますが、現代はその比ではありません。
日本という国だけでも、数万もの数え切れない宗教団体があります。そのどれも正法を受け継いでいるところはありません。
このホームページも、今後一切お金が発生することはありません。あるのはわが身一つと心だけあれば良いのです。
実は今は、宗教の時代です。戦後日本も多くの信仰宗教が起きましたが、今ほど正しい法が求められている時代もないにもかかわらず、狂った狂信によって多くの人が心に足かせをはめられ、生きながらにして煉獄にいる人が数え切れなくいます。
拝むことを止めれば罰が当たると、多くの宗教家が言います。
断じて、そのようなことはありません。神は人に罰など与えることはないのです。愛するわが子に誰が苦しみを与えるのでしょうか。
もし罰があたるというのならば、自分自身の偏った思念行為にその原因があったのです。
ある宗教では退会しようとすると、しつこく嫌がらせを行なうやくざ宗教があります。それで、自殺に追い込まれている人が何人もこれまで数100人もいることも報道されていません。
よほど、かの指導者はマスコミを支配するのが好きなようです。
人類はみな兄弟です、神の子です。愛ある人間はこのようなことをしますか。愛を説くべきところの宗教が、子供のいじめ、村八分のようなことをするでしょうか。
もしそれが正しいというのなら、あなたの心には愛があるのでしょうか、あるのは組織の細胞と化した、闘争にあけくれる阿修羅のような心があるだけです。
胸に手を当ててよく反省することです。
大丈夫、罰を与える神はいません。正法にたとえ疑問を持ち、一時正法からはなれても、やはり人生は無常なものです。また疑問となって、再び正法に戻ってくるはずです。
自らが指導者として、自分自身の過ちに気がついたなら、これを素直に詫び、信者を心の煉獄から解放しなければいけません。
もし、それができないなら、その責任は大変重いといわざる得ません。
人の心に間違った思想、ものの考え方、狂信させたものの責任は大変重いのです。同じ神の子である人間を、兄弟としての慈悲愛を忘れ妄信させてしまった責任は、数倍、いや何百倍となってあの世に持って帰ることになるのです。


 

更新情報・おしらせ

【2012年5月6日】更新

 

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