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物質至上の歪み


物質至上の歪み 
正法は人を種族によって分けたりしません。暮らしてきた環境や国家、民族、目の色や肌の色で区別したりはしないのです。
もちろん、勲章の数や宝石の数、経済の多寡によって分けることなどありません。
地位や名誉やお金は、果たしてあの世にもって帰れるものでしょうか。もって帰ることのできるものは自らの心以外にはありません。
道行く、すれ違う人を見てあなたはどう思いますか?
ある人は、その人の服装を見て人を身分の上下で差別しようとし、またあるものは目の色の違いを見て、中傷の対象とします。
人を差別するのは、偽りの我です。
そうではなくて、素直に人が尊いと思える心は誰しもが心のなかにあるはずです。
自らの目に張り付いた偽りの鱗を取り払わなければいけません。奇跡によってはとれません。自らが取るしかないのです。
もし、人を素直に尊いと思えない人がいるならば、その人もまた、今度は自分自身の心の尊厳が失われているということです。地位や名誉やお金が人間の目指す目的だと勘違いしてしまったなら、終わりのない満たされない心の乾きと飢えに苛まれるでしょう。
地位や権力お金に執着するものはそれこそ、満たされない心の乾きに永遠に苦しむことになるのです。
何も金持ちや権力者に限ってのことではありません。
貧乏人でも、同じようにこの虚構の心の乾きに陥ってしまったならば、みずからの心の価値を否定し、自らの命を絶とうとするものもいます。
どうか、命を大切にしてください。現代は、何をするにも経済という物質至上主義の世界になっています。
これが正しい、正法の目指す世界なのでしょうか。
偽りの虚構に飲み込まれないでください。これが虚構だと知ったなら、そんなものに身を任せて自らの命を奪われてはいけないのです。
金持ちは、足ることを知り貧しいものに施しをしなければいけません。自らの善我なる心を取り戻すのに、金が邪魔をするならば、そんなものは捨て去ったほうがよいのです。
しかし、宗教に散財してはいけません。自分が救われるために教会に寄付する人がいます。その人は、自らの心が救われない限り、いくら教会に寄付したところで救われることはないからです。
そうではなくて、自らが飢えてる人に直接手を差し伸べるのでなければいけません。
そもそも宗教がお金を持ったり、人々からお金を集めるのは間違ったことです。なぜならば、この地球そのものが神の体であり大神殿だからです。真の教会は心の中にあるのです。
もし違うという宗教があるとすれば、その宗教はすでに正法からかけ離れた、利益追求の自らの組織の維持のためだけの存在なのです。
神はすべての物を人に与えています。太陽の熱、光は無償の下に人類に与え続けられています。これが愛でなくて一体何なのでしょうか。
着飾る必要はないのです。目に映る自然はすべて調和されています。
それゆえに、美しいのです。そして素直です。野に咲く一輪の花の美しさが、人間に本当の姿を教えてくれています。
もし、自分が借金で苦しんでいるならば、現代では自己破産や他のいろいろな方法があるはずです。
こんな虚構に自らの命を奪われてはいけないのです。心まで貧しくなってはいけないのです。もし、苦境に立たされているならば、その原因を追究することです。
物質至上主義の最中にいた自分自身の心の貧しさに気がつくはずです。
足ることをしり、自らの心の軌道を中道に戻すことが必要です。心の渇きを満たすには、自らの軌道を修正すること意外にありません。
2011年現代、日本という国は年間何万人もの自殺者が発生する国です。末法の世界そのものです。
心を忘れ、物質至上主義に明け暮れ、すべての人は尊い、その当たり前のことも忘れ去られているのが、この国の現実です。心の価値が置き去りにされてしまっています。
愛は人を差別するでしょうか。そんなことはないはずです。
あらゆることに心の価値を取り戻していかなければなりません。それが正法の目指す姿なのです。あい助け合い、補い合う姿が本当の人間の姿のはずです。


 

更新情報・おしらせ

【2012年5月6日】更新

 

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