高橋信次師の著書紹介
「人間釈迦」四部作

偉大なる悟り (1973年初版)
集い来る縁生の弟子たち(1974年)
ブッダサンガーの生活(1976年)
カピラの人びとの目覚め(1976年、亡後出版)三宝出版社

−解説 八起正法先生−

今から二千五百年前の釈迦の時代を思い出し、自動書記によって書かれた世界でも希なる書。釈迦としての過去世(生)を持つ人でなければ、ああは書けまいと評判の長期ベストセラー著作。高橋師は自ら「私は釈迦でした」と述べた記録は見当たらないようだが、八起ビルでの講師・幹部研修会(昭和四十八年七月)の講話の中で、金魚のフンみたいに付いてくるだけで勉強しない幹部への叱責の言葉がある。 「私は釈迦牟尼如来として言っているのです。天上界の権威をもって言っているのです。 ついてくる者だけで良いです。一人の心美しい人があればいいのです— — —」、と。

また、他の講演の中では「私はインドの時はそうは説かなかったのであります」と、新事実がポンポン飛び出すのが常であった。そして、聴講生の一人が「先生はお釈迦様ではありませんか」と尋ねると「私が誰であるか、解かる人は解かる筈です」と、明言を謙虚に避けている。亡くなる直前(昭和五十一年六月)の講演会では黒板に図示しながら(ビデオ)、
「…たとえば、私がイエス様の当時の話をしますと今度はこれがクルクルッと廻りまして、こちらの人の、私の身体の中にはいってくるから、今度、イエス様の顔になっちゃうわけですね。お釈迦様のこんど、話しをしますと、こちらが出て、今度、お釈迦様の意識がはいって、その当時の意識が身体の中にはいってくるから、今度、お釈迦様の顔になっちゃうわけです。ですから、私が講演を全国して歩いとって「あの方は、お釈迦様の生まれ変わりだ」という人が出てくるわけですね。見えちゃうから。私、耳たぼなんかこんなに小さいのに、インドの時、こうなってくるわけですね。眼の方が、ずーっとこうやって細くなってきちゃう。見とって、皆んなビックリしてしまうわけです。そうすると、その人達にとってお釈迦様に見えちゃうわけです。これは光の分霊っていうわけです。エルランティの光の分霊、…」
また、次のようなこともあった。
(昭和四十八年夏の熊の湯での自主研修会での講話要約)

東大の印哲を出て神学博士で大僧正というO氏が高橋師を事務所へ訪ねてきた。
「お掛け下さい」
「釈迦と言っているのはあなたですか 」
「はあ、釈迦ですね。僕はね自分から釈迦だと言ったことはない 。だが、人の口には戸は立てられませんからね。それが本当であるかないかは、あなたがわかるなら立証できる筈だ。あなたは教祖だといって多くの人を迷わしている」
「迷わしていません」
「その証拠に、私が誰であるか、あなたはわからない。わからないということは、人にもわからせられないということだ。意味がわかりますか。大体あなたは、自分の住んでいる場所が変わっているのはどういうわけか。あなたは自分の本妻は四国に置いて、今ここにいるかあちゃんは一体、何者なのか。神さまを説く人がなんですか、そんなことはないとは言わせませんよ。」
「そんなことがわかるんですか」
「そんなエッチな宗教家ってありますか、出直してきなさい。あなたは心のことは何もわかっていない 。頭でわかっていても一つも行いができていない。出直しなさい。」、と。

そして、昭和五十一年五月の富士みどりの休暇村の研修会では、「その物差しに当てはめれば、どのようなことがあろうとも、真実なものは真実として自分自身が理解できるようになっていきます。その時に、皆さんは真に、今、私がこのように皆さんの前で力説していることが、一体誰であるかを自分の心の眼で、私を確認する事が出来るのです。やがて、間違った宗教は、私の「正法」の前に、つぎつぎと屈服していきます。モーゼの時より、エリヤの時より、もっと大きな現象が皆さんの前へ起こってきます。私達の仲間が、その準備体制が整った時に、信じようと信じざるとにかかわらず、真の、正しい道が何であるかを大衆はそれによって知らざるを得なくなるのです」、と。

高橋信次師が誰であるか師の講演の中から幾つか上げてみたが、師の周辺の色んな資料から判断すると、高橋信次師は三億六千五百年前の本体のエルランティーであり、その光の分霊(分身)の近年においては三千二百年前のモーゼ、二千五百年前の釈迦、二千年のイエスであったとウエブ・マスターは理解している。何億年という話になるとチンプンカンプンでなにやら危ない話になってくるが、師のアヤフヤでない誠実な人柄と、残されている著書群を手にとって読まれるとキットおわかりいただけることだろう。

 

高橋信次師の著書紹介
「心の発見」(「縁生の舟」改題)三部作 �神理篇 �科学篇 �現証篇(1971年 か ら1973年)

「心の原点」(1973年)

「心の指針」(1973年)

「心眼を開く」(1974年)

「愛は憎しみを超えて」(「餓鬼道」改題1973年)

「心の対話」(1976年)

「原説・般若心経」(1972年)

「悪霊」二部作 �あなたの心も狙われている(1973年) �心がつくる恐怖の世界(1975年)
「心行」
「心行の言霊」
※「心行の言霊」の中の四十三ページ「人間は罪の子」という記述は、高橋先生の出版を手がけていた弟子の手になるもので、「人間は神の子」という誤りです。ご注意下さい。
「反省の要」
「天と地のかけ橋」(子供向けの釈迦物語)
「大自然の波動と生命」(絶版)
「人生の羅針盤」(絶版)
「講演ビデオ(Uマチック)」と「講演テープ」は多数。


 


 
園頭広周師の本(正法出版社)
園頭広周師の本(正法出版社)

「現代の釈尊高橋信次師とともに」
「恋愛・結婚・胎教・育児」—正法と人生の原点—
「正法と結婚の原理」
「仏陀をめぐる女性たち」
「信仰の指針」 
「正法と現代宗教」
「正法と経営」—人間主義経営学—
「宇宙即我に至る道」上・下
「般若心経講義」
「大宇宙の神理「心行」の解説」上・下
「園頭広周書簡集」上・下
「正法入門」
「二十一世紀の宗教」
「二十一世紀まで生き延びれるか」
「高橋信次先生講演・著作解説集(一)」
「高橋信次師のことば」
「天よりの使者高橋信次師は語る」
高橋信次先生隋聞記シリーズ(一)「人生の目的と使命」
「正法と高橋信次師」三部作1、2、3 園頭広周・花田成鑑共著
「新創世記」—高橋信次師・園頭広周師に学ぶー 花田成鑑著
「霊能と超常現象」園頭広周監修、花田成鑑著
「アガシャの霊界通信」Jクレンショー著、園頭広周訳解説(上・下)
「アガシャの講義録1」Wアイゼン著、園頭広周訳編・解説
「今なぜ正法か」 
「母を憶う」(増補改訂版)
「大いなる創造のために」(英和対訳)Gサルバット・詩 園頭広周解説
「女性読本」、「新・女性読本」
「大川隆法はこう読め」、「続・大川隆法はこう読め」
「大川隆法は仏陀ではない」
「正法誌合本第一巻」創刊号(昭和53.9)—第十六号(昭和54.12)国際正法協会(正法会)設立15周年記念出版
「カセットテープ、ビデオ」(太陽と一体となる禅定、仏跡にて法を説く、等多数
「心行」、「感謝の祈り」上質版、携帯用(ケース入り)
「グレース」二十数号
—愛は美しくシリーズ(体験談集)—「愛は美しく」号、「魂の軌跡」号、「正法を実践して」号
「高橋信次師こそ真の仏陀であった」東明社版
 
 

『正法と高橋信次師』全三巻 園頭広周・ 花田成鑑共著 初版1994年4月

 


村上宥快師(村上和尚) 
村上宥快師の本(観音寺出版局)

『心と行い』―釈迦が説いた真実の心の行い

『調和への道』―心の存在を自覚するために

村上氏の著書には次のように書かれている。             
「秋の彼岸会が済むと、正法求道の憧れを満たさんと毎夜車で大森の先生(高橋)の宅を訪れては説法を聴聞した。時には夜の白むこともことも幾度かあった。私の守護霊、魂の兄弟の霊を出して転生の秘密なども話して下さったこともある。風雷蒋といって聖観世音の道案内を勤めた男である。」と。                     
 高橋師が亡くなった後、ミカエル事件が起こると、村上氏は一栄、佳子氏等に対して強固に反省を求めた。すると、GLA側は檀家、宗派本部等に中傷文を送りつけて職務を妨害するという挙に出た。裁判に持ち込まれようとした時、GLAは和解を申し込んだ。         



※村上宥快先生は高橋信次先生と常にともに歩まれた方です。そして、最後まで正法者として歩まれた方でした。
既存仏教の中で、正法を説くことがどれほど勇気のいることか。和尚さんとよく呼ばれていたことからも分かるように、本当の檀家を持ったお坊さんでした。同じように正法に帰依したお坊様もいますが最後まで貫き通した方はこの方より他にいません。
他の方がどのようにされたかは分かりませんが、古い仏教のなかで正法を歩むことは我々が想像するより厳しいものであり、正法から離れた方を無闇に非難することはできません。
しかし、かならず自らの心に問うた時に、必ず戻ってくるものと信じています。それには本当の勇気が要ります。しかし、真の光明はそのことなしに得られないことは自らの心がよく知っているはずです。
佳子氏と一栄氏について、強く反省を求めます。それは、そうでなくては二人は救われないからです。私達は決して責め裁いているのではないのです。
そして、迷える魂をこれ以上作ってはいけないのです。
村上和尚様は既にお亡くなりになりましたが、その生き方は多くの人に感動を与え、その歩みは灯台の光となり導かれている人も多くいます。
園頭先生も、村上先生も、真の正法を歩んだ人です。その二人が何故、彼らに反省を求め去ったのかよく反省しなければなりません。しかし、明けない夜はないように、正法は必ず連綿と説き続けられて行きます。





 

 


朽木丈人師

『心の旅路』

『佛の道』『佛の手のひら』『佛の教え』(ひかり出版社)

小冊子『当たり前の話』『市川講演集・佛の教え』


朽木先生は、最後まで独力で正法を多くの方に伝えようとされた方です。
高橋信次先生との出会いにより、自らの運命を悟り、自らの本当の使命を悟り、その姿はまさに、汝信仰あり我行為ありという言葉の「行為」を現された方です。
その伝道の姿は愛そのものでありました。
その過去世は正法の流布と共にあったことが、心の目を開け悟られた朽木師自身により語られています。
過去世、お釈迦様の分身と共に歩まれた正法流布の長い、険しい旅路を思い出され、高橋信次先生はお釈迦様の本体でもありますが、その当時を思い出されます。
お釈迦様の時代にはヘイマカと呼ばれ、園頭師とも深い縁のある方でした。当時を思い出し、信次師の前で園頭師に当時のまま五体投地で挨拶をされます。
また、朽木先生は後に大日如来と呼ばれるヴェルジャナーと共に正法流布に歩まれた方です。ヴェルジャナーの使命はゴータマブッダの正方流布の後、その正法の再復活、慈悲と共に再度、愛を説く為に使命を与えられたのでした。その同じ時代に生まれ、ヴェルジャナーとも直接会い、共に歩まれた方でした。
今世もまた、正方流布の道のりは長い険しいものでした。
しかし、多くの方にその歩みは光とな、今もなお心の灯台となり続けています。







更新情報・おしらせ

【2012年5月6日】更新

 

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