心行−自らの心と行い
心行
 「心行」について

「心行」は、大宇宙の相互間系と人間関係、そして、すべてのものが循環され、この循環が大宇宙の心、中道を軸にして回転し、人間の魂もまたこうした正しい循環の過程の中で育まれ、調和という目標に向かって転生輪廻を重ねて行く永遠の生命であることを、きわめて平易に、端的に文字で表したものである。

「心行」の柱となるものは
1、大自然という神の心2、永遠の生命体を維持する循環の法3、慈悲と愛の三つである。

この三つが「心行」を形作り、私達を生かし続けているものであり、「心行」はそれゆえに心の教えであり生活の規範である。したがって、これは暗記するものではなく、これを理解し実践して行くものだ。実践の過程を通して大宇宙の中道の心に調和され、真の安らぎが体得できるものである。

言葉は波動である経文もただ読み上げるだけでは意味を持たないが経文の意味を理解し実践している者が唱える時はその言葉の波動はあの世の天上界まで通じ人々を感動させる。

言葉は言霊(ことだま)と言って光の粒子からできており、言葉を発する人の心の在り方いかんでは、言葉の一つ一つが、光の玉となって空間に流れ出て行く。
人の話に感動する、
ないしは笑いや怒りが出てくる場合は、話す側の心と、これを受け取る人の精神状態によっても違うが、しかし、純な心で話す場合は、これを受け取る側に邪心があっても、消えてしまう。また、話はスジが通ってわかるが、サッパリ気持ちが付いていかないということもあるであろう。

これは話す人の心の在り方が聞き手に大きな影響を与える。純な心は光であり、わだかまりがあると光が黒い塊となって相手に伝わって行くので、反作用を起こすことになる。ちょつとした寺には釣鐘があるが、常日頃心の研鑚を怠っていなければ、鐘をツク人の心の在り方によってはゴーンという鐘の音の波動もあの世の天上界にまで達し、その人に返ってくるばかりか、その鐘の波動は人々の心を浄化してくれる。

経文の朗読もこれと同じで、正しき心と行為をしている者がすると心の統一、安らぎを尚一層助長していく。「心行」の朗読はそうした意味では大切であり、しないより良いということになるが、書かれている意味もわからず、拝めばご利益があるということでは駄目である。般若心経はどこでも読まれているありがたいお経であるとされている。写経も良し読経もまたご利益があると伝えられている。しかしその意味も分からず行為のないものが朝晩あげても光は届かない。

今日の仏教は、経文をあげたり写経自体にウエイトがかかり、日ごろ
の想念と行為については問題にしていないところに問題がある。「心行」は真意をよく理解して、それを現実の生活の上に現し、その心で朗読されるならば、一の言霊はニになり、三になって心の安らぎは増していくであろう。

「心行」の意味を理解され、夜眠る前に床の上で静かに朗読されその日一日の想念行為を反省し、過ちを正し中道の心に一日も早く修正されることを望むものである。

−高橋信次−


 



 

 

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【2012年5月6日】更新

 

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