過去世物語と光の天使166  八起正法先生
それというのも園頭師は、インドの時代に大目連と言われたニューヨーク在住の大谷氏と、二五〇〇年ぶりの再会を果たした直後の「昭和五十三年十月六日から九日までの福岡県大牟田の研修会を終えると、そのままフィリッピンへ飛んだ」と月刊『正法』誌に書いている。また、昭和五十七年の正法誌には、「フィリッピンの心霊術師トニーが早死しました。昭和五十三年、ある人からトニーの将来について相談したいことがあるので、バギオに行って欲しいということで、行ったことがあります。その時に、今のようなやり方をしていたら、トニーは力がなくなって、早死にするので注意した方がよいと言ってきたのでした。トニーも悪かったのですが、心霊ツアーで行った日本の女性も悪かったのです。自分から進んで身体を提供する女性と関係を持ったのです。そのため、トニーは昭和五十七年に死にました」という一文が載っている。如何に光の天使といえども、善と悪の入り混じったこの世での修行が難しいか、思い知らされる出来事であった。
信次師は、こう言っている。「本体が肉体を持つ時、分身の蒔いたカルマ(業)・心の傾向性をも同時に修正しなければならないのです」と。百五十年後の、シカゴに生誕されるイエス(本体)は、この面でのカルマの修正にも、意を尽くさなければならなくなるのである。凡人である我々が本体であろうと分身であろうと、魂の兄弟達に迷惑を掛けないように、今を正しく生きねばならぬ。今世限りでない生命を永遠に続けるために、今を大切に生きることである。


〈フィリッピンの歴史〉
 
 フィリッピンは、最近では政府の改変劇など目まぐるしく変わって注目された。フィリッピンは、キリスト教国である。一五二一年(足利義稙時代)、スペインのマゼランが、フィリッピン群島に来航するまでは平和な国であった。一五四二年(足利十二代義晴)、スペインはフィリッピンの完全占領を目指して軍隊を送るが失敗。一五六四年(永禄七年、足利十三代義輝)、軍艦四隻、兵員三百五十名、カトリック宣教師六名を率いて、一五七一年、マニラにあったモロ族の大酋長ソリマンを亡し、スペインはフィリッピン征服を完了した。以来三百二十余年間スペインの統治が続くが、それからはスペインの搾取に対して原住民は反抗し、独立運動の機運が盛り上った。その時、スペインの宣教師団が、原住民イスラム教の僧侶三名を法衣をつけたまま銃殺したことによって、原住民の憤激は爆発する。だが、それも押え込まれて成功せず、スペインと和解して「アク・ナ・パト条約」を締結した。その条約とは、 
一、スペイン政府は善政を布き、住民の福利を図ること。 
二、独立軍はスペイン政府からメキシコ貸八十万ドルを受け、独立軍首領幹部は、国外へ出ること。
こうして、独立軍の首領アギナルドは、四十万ドルを受けて香港へ去った。しかし、スペイン政府は、残る四十万ドルを払わないばかりか、ますます圧政を加えた。このような情勢下で、突然アメリカ・スペイン戦争(一八九八年、明治三十一年)が起こった。これは米国がキューバとフィリッピンを同時に強奪しようと狙った計画である。米国は、スペインを敗ったら、フィリッピンの独立を保証するとの密約のもとに、独立軍は米軍と協力してマニラを陥落させたが、またまた独立は認められなかった。米国は詐術によって、完全にフィリッピンを占領、のちグアム、サモア、ウェーク島を占領、ハワイを併合したのである。それ以来アメリカは、フィリッピンを拠点にしてアジア、中国大陸への攻略を計画することになる。そして、最近は幾多の政変の後、女性大統領に統治され、現在の元俳優の大統領は御承知の通りである。                                 
 それではアントニオ・アグパオア氏の自伝、『わが奇跡の力』たま出版、アントニオ・アグパオア著から、半世記を要約引用したい。



過去世物語と光の天使167  八起正法先生
 一九三九年(昭和十四年)六月二日、フィリッピンのルソン島中部のバンガシナンのロザレス村に誕生。家は代々農家の敬虔なカトリック教徒で、フイリッピン大家族制の古典的な一例であった。幼児期の記憶は、「テキ」の来襲で、「どうして人間が同じ人間から逃げ隠れするのか、幼い頭を悩ませたものだ」とトニーは書いている。物陰にひそんでいると敵兵が来て隠れ家の案内を命じたが、山に向かって一杯走ると敵兵の気配はなくなった。日が暮れ二度と両親に会えないと思えるほど、次の朝もどんどん歩いた。二日二晩たって、トニーは見つけ出されるが、それは不思議な一人の老人が、東の山に居ると告げたからである。
五歳の頃、近所の子と遊んでいると、年上の子が木から落ちて、出血がひどく気を失ってしまった。薬草治療士が呼ばれても手におえそうにないので、無意識のうちにトニーは泥で汚れた手を傷口に伸ばし、そこに当てた。「だめよ!さわっちゃ」、トニーの手がグイと引かれ、男の子は恐る恐る股の付け根にさわると、「傷がなくなったよ」と大声で叫んだ。廻りを見ると皆がトニーをしげしげと見つめていた。それは敵兵が自分を最初に見つけたときの眼差しと同じで、次の瞬間、山中で過ごした夜の淋しさ、父母を求め、家に帰りたいとあの淋しさが私を包んだ。」とトニ−は書いている。これが初めての心霊治療の状況だった。傷を治してからは不思議なことが起こり続ける。朝早く寝床を覗いても、もぬけの殻で、庭の木の上に寝ていたり、水の澄みきった小川や、果実のたわわに実る大木や岩場の暖かい場所へ、独りでいつのまにか行っていたりの連続で、最初は両親もずいぶん悩むが、しばらくするとそれも慣れてしまう。時には、寝ずの番をして見張ったり、不寝番に立っても、あっというまに姿が見えなくなるのである。その内には誰も探さなくなり、五歳の子供にしては不自然な文句を独りで唱えるので、皆は不思議がった。       

     <お母さんの出産>                           
「トニー助けてえ」というお母さんの声に、トニーの両手は突然前に出てお母さんの腹部に伸びる。「さわっちゃだめだ」とお父さんは叫ぶと、トニーの両手は、お母さんの腹部の僅か二、三センチの上の所で宙に浮いて止ると、腹部にかざしたトニーの両手は麻痺したようになり、その時、産声があがり、妹はこの世に生まれ出たのである。それから、男女の二人の老人に出会うと、トニーの目をじっと見つめ、肩に手をおきながら「お前はモイセスの息子トニーだな。お母さんのお産に手助けしたのかい。天与の授かりものじゃ、授かりものじゃ」と。                                 
   <不思議なアポとの出会い>                             
トニーは七歳の時、黒染めの絹のような服をまとい、腰には汚れた白いヒモを巻き、長くのびた白髪も白いヒモで束ね、白ヒゲの一人の男がそばにいるのに気が付いた。その男の目は若々しく輝き、赤児のような笑顔だったが、全身には老いがうかがわれた。「おいで」と低い声が響き、言葉数は少ないが、言葉を選んで話すような話し方で、自分のことを隠者だと言った。「アントニオ、わしと一緒にいる限り飢えも渇きもせんぞ」と、トニーの手をとると山の中へ歩いて行った。やがて両脇がきりたった崖にはさまれたかっこうの、隠れ場所のような平地にでると、「二人が住むのはここだよ」と告げた。屋根をコゴンでふいた竹造りの小屋が建っており、回りには薬草や薬木が植えてあって、小屋に入ると低い竹のベッドが二つ。一つのベッドの上には、不思議なことに、トニーにピッタリの着替えがのっていた。ここでアポと一緒に暮らすことに気付くと、アポは、「アントニオ、その通りだ、神の導きなのだ、わかる時がくる、ようわかる時がくる」と言った。


 


過去世物語と光の天使168  八起正法先生
    <心の修業>                                    
 次の日からはアポはものの見方を教え始めるが、必要な時を除いて一切言葉を用いなかった。アポはトニーを一輪の花の前に座らせ、刻一刻と花の開く様子をじっと目で捉えよと命じる。それからは、花が蕾から開くところが確かに見えるようになり、花の開く音を聞き、香りを嗅ぎ、味わい、最後にその感触を覚える事などを順次に教えるのだった。次にアポは瞑想することを教え、植物を対象とした精神集中が終ると、次は動物に学ぶが、狩りを楽しみ、捕獲するのが巧くなると、「お前は立派な猟師だ、だが動物にうち勝つ術を覚えたり、その弱点をつかみ、お前の知恵で動物の本能に対抗しようとしたりする事よりも大事なことは、動物の内なる調和を学び、お前自身がまた動物達と調和する事だ」と教える。次には、狩りに出た時は、細かに観察だけをし、鳥の場合は、木と一体になれたので、鳥の方が木の一部とみなし、身体にとまることすら珍しくなかった。                 
    <神様を飲み込んだ女の子>                             
 ある日、二人は山奥から出て小さな村を訪れると、もう戦争は終わっていることに驚く。山で怪我をして歩けなくなった男がいたので、アポに教えられた通りに薬草を傷口に当て、全身の力を解きほぐして内なる霊力を思いのままに流れ出させた。両手は例の半分麻痺したような感じで両手を引くと、腫れは引き傷口は乾きふさがり始め、男は笑顔を浮かべたので痛みの去った事が分った。次に診たものは、何かを飲み込んだために食べなくなり、栄養失調になっている女の子だった。アポはトニーの両手をその子の体の上にかざすと、ある一点で両手がぴたりと止り、飲み込んだものはここだとわかった。アポは磁性を用いて、それを引き出すようにトニーに命じた。どこから出るのだろうかと思うと、一瞬ヘソからだという考えがひらめき、「ヘソから、ヘソから出よ」と念じ続けると異物がとびはねているようで、ついに異物が飛び出すと、それは硬貨大の十字架のついた白いメダルで、この子は神様を飲み込んだのだと言って、皆は声を立てて笑うが、このような事があって後、二人は別れることになる。    
振り返って見ると、もうアポの姿はなかった。ある村にたどり着いて、庭で遊んでいる子供達の仲間に入って遊んでいると、その中のアルフレッドという子とうまが合い、夜になるとアルフレッドの家について行くが、家は貧しくトニーの食べるものもなく、仕方なく山に入っては目についたものを食べ、食事が終わると家に戻って泊めて貰う日が続いた。                         

    <ボ−ル遊び>                                
 ある日、アルフレッドと屋根ごしにボール投げをして遊んだ。トニーはボールには手を触れず、霊力で送り返していた。トニーは木に腰をおろして、ただボールの行方を見詰めては、霊力でボールをあちこちに送り返し、さぞかしアルフレッドが駆けずりまわって疲れているだろうと面白がる。その内にボールが屋根に止ってしまい、トニーは霊力を思い通りに働かすことができなくなっていることに気が付くが、アルフレッドは向い側から笑いながらやって来て「霊力でボールを屋根から下ろしてよ」と頼む。トニ−は全力をあげて精神集中を続けた。すると、突然、ボールが光り、家全体が火となって燃え出し、数軒が焼けてしまう。その夜、瞑想に入るとアポが現われ、アポの口調には悲しみがこもっていて、「よく反省せよ」、と目が燃えていた。トニーは素直にうなづき、反省するのだった。         
    <金塊探し>                                  
養父は仲間と共にトニーを連れて、遠く離れた山の中を数日歩き続けた。この時、トニーは金塊探しに手を貸すことになる。トニーの示す場所を三日間も掘りに掘って、目指すものを大人達は見つけると驚喜した。その夜、トニーは、夢の中で何千という金の延べ棒が取り囲み、押しつぶされそうになる夢で、大声を発して目を覚ました。それから一行は、大きな町でその金塊を売ると、トニーにいろいろな物を買い与えた。




過去世物語と光の天使169  八起正法先生
    <ヒ−ラ−としての出発>                             
それからトニ−は、教会堂で暮らすようになる。教会堂では心霊治療が仕事の一つになっていて、初めは治療には加わらないが、皆んなの奨めもあってヒ−ラ−として治療に専心する。一番年少のヒーラーとしてトニーは評判になるが、十三歳の時、教会堂で治療を始めて一年余り経った頃、朝から晩まで手を当て続けていると、一人の老女がやって来て、とても苦しんでいた。祖母を思い出し、望郷の念を払いのけて精神集中をし、ついにトニーと老女は一体となる。  
それでは、トニ−はどのように書いているか見てみたい。     
「私が意識を取り戻した時には、私の両手に血がベットリと付いていた。周りからは、驚嘆の叫びが起こって、ひざまずく者や頭を垂れて祈る者もいた。治療士の一人が「君はあのお婆さんのお腹を手で切りさいて、肉のようなものを取り出したんだ。そしてそれから、傷口を閉じてしまったのだよ」と言った。私は思い出した。私は自分の小指を老女の腹部の上に走らせると、皮膚が切れて腫物が見えた。男の声で私に指示を与えてくれる者がいた。その声の命ずる通りに、その腫れ物を取り出した老女の腹部から手を離すと傷口が閉じたのだ。血だらけの異常な塊りだった。」、と。                               
 これが現在、心霊手術と呼ばれるもので、トニーの初めての体験だった。最初の心霊手術の後、ユニオン・エスペリテスタズというフィリッピンの治療士の団体の役員となるが、心霊治療の行える者は大勢いるが、心霊手術の行える者は二〜三人だったと、トニーは言う。             
     <お母さんの死>        
心霊手術を行って以来、その名声により、国内はもとより海外旅行の日程に追われるようになるが、ある島で治療している時、無性に故郷に帰りたくて故郷へ帰ってみると、母は亡くなっていた。すべてを忘れるために、トニ−は、それから数カ月間、瞑想もやめ畑を耕したりしていると、ある雨の日、若い男がトニーを訪ねて来て、「母を助けて下さい。助けられるのは先生しかありません。」と。しかし、母を亡くしたばかりのトニーは渋るが、お父さんは「死んだお母さんも喜ぶだろう。行ってあげなさい」とすすめ、何日もかかって若者の家に着いた時には、彼の母親は亡くなっていた。母を亡くしたばかりのトニー、母を失った若者の二人は、同じ悲痛に包まれ、以来、遠近を問わず、どこかに呼ばれる時、その日のことを思い出すと、トニーは疲れも吹き飛んだ、と。
そして、トニ−は次のように結んでいる。             
 「私の心霊治療の能力については、むやみと評判が立ってしまい、国内はもとより、世界に私の名前が知られるようになると、名声と地位を手中にするのは心地よいものだった。治療しているのは自分ではなく、私の内なる守護霊の霊力であって、私自身だけでは何一つ出来ないということすら忘れていることがあった。治療に対しての報酬をもらうのは、当然なのだと自分にいい聞かせたこともあった。治療の報酬にふさわしいもの、つまり大きな家とか、召使いとかでなければ、私の治療の報酬にふさわしいものではないと思った。だが、ここでも内なる声のさとしを受けるのであった。「私利を図ろうとすれば、空しさのみ」、とその声は諭した。そして私のこれまでの人生は、相反する二つのものの絶えざる戦いであったと言えよう。つまり、一つは誘惑や欲望に非常にくずされやすい私であり、いま一つは心霊治療という天職にのみ献身を願う私である。」、と。  



過去世物語と光の天使170  八起正法先生
アントニオ・アグパオア氏の自伝より要約したが、モーゼが説いたユダヤ教も、釈迦が説いた仏教も、イエスが説いたキリスト教も、はじめは同じ神理・正法が説かれたのである。永い時間とともに、それぞれが異なったもののようになってしまった。それを修正するために高橋師が生まれ、神理を説いた後、昭和五十一年に昇天したが、この自伝は昭和五十三年に出版され、書き込められた神理は、高橋師の説いたものと同じものが見受けられる。イエスの分身�のアントニオ・アグパオア氏と、エルランティであり、モーゼ、釈迦、イエスの本体である高橋師の説かれた神理が同じであることを考えた時、宗教は一つ、神理・正法は一つと言った高橋師の言葉が、今さらながら意味の大きさを感ぜずにはおれない。また同じく、高橋師も子供の頃、墨染めの衣を着た見知らぬ男の人(不空三蔵といわれている)が川の土手に現れて、いろいろ教えるとスーッと消えていなくなったらしいが、光の大指導霊がこの世に現れると、天上界を上げて教育し、護るようである。これら二つの事実は不思議と言う外はない。
それでは、昭和四十八年七月、八起ビルでの講師・幹部研修会の講話を参考にして頂きたい。  
 「皆さんが、神理を知った慈愛の心でやれば、それは即、光ですから奇跡は起るんです。私の専売特許ではありません。誰でもできるんです。ただし、自分が正法を通した生活をしていなかったらいかんです。そうでなければ見せかけです。格好よさです。人間は自分自身をなおし、相手をなおすその力を、誰でも持っているのです。常に私達はそれを活用することです。奇跡は皆さんが起こすのではなくて、あの世の協力を得ているのですから、皆さんにはできなくても、あっちはできるんです。あとはあの世で協力してくれるんですから、自信を持つことが大事ですね。病気を治すのでも、「本当に治るかしら」これはよくありません。自分の心をあくまでも調和してやれば、必ず結果が出ます。なぜなら、次元の違った光の世界から協力してくれるのですから。愛の心で相手の痛みをよくしてやろうと手を伸ばした時は、その手を霊視すると、黄金色になっています。慈悲の心を満たすには実践することです。そうすれば自信ができます。」                        

 次に、本山博著『フイリッピンの心霊術』宗教心理学研究所出版部より要約させていただく。                           
    <本山博氏(心霊研究者)のトニ−研究>                              
 昭和四十一年(一九六六年)一月、本山氏は、アメリカ人教授の紹介状を持ったアメリカ人と、トニー(当時十六歳)についての心霊手術の調査に協力するために、第一回目のフィリッピンに渡った。その時のトニーの評判はトニーはこの頃、お金儲けに走っているように思われ、そんなことではいつか霊能を失うのでは、と心配する人もいた。手違いで、二日待っても三日待ってもトニーには会えず、数日後、トニーの家に行って、心霊手術を見る約束ができた。その日、二つの待合室は人が一杯で、手術室は、八畳位の広さの土間の真中に、木の寝台の有る粗末な部屋だった。隣の家からのジャズ音楽がガンガン聞こえるという雰囲気で、トニーはすぐ二つの待合室一つは十五畳位、他は十畳位の部屋の患者の治療を始めた。そのうちの一人は、蕁麻疹の腫れあがった所に手を置いて短いお祈りをすると、一〜二分の内に腫れがみるみる内に引いてゆくのには本山氏も驚ろいた。これは、一人の患者に一〜二分程度の、手術ではなく日本でよく見かける心霊治療の一種で、それから心霊手術が行われることになった。患者は六十歳前後のお婆さんで、卵巣の膿腫の摘出である。お腹の部分を出し寝台に横になって、寝台の横にトニー、本山氏、シャーマン氏、反対側にベルク氏、トニーの助手、そして手術室の内外には、四〜五〇人の手術を見ようという人達がいた。 


過去世物語と光の天使35 に続く

更新情報・おしらせ

【2012年5月6日】更新

 

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